「うる星やつら」の博物誌
映画4 ラム・ザ・フォーエバー (1986年)
脚本:井上敏樹、やまざきかずお
監督:やまざきかずお
ネット上で、この映画の批評などを見ると、どうもあまり人気がないようです。
意味がよく分からないというのです。僕も何度か見てみたのですが、やはり分かりませんでした。
しかし、この映画の大枠はどうやら、落語の「頭山」をモチーフにしているようです。
古典落語 頭山
あるケチな人が、サクランボを食べていて、種ももったいないからと、一緒に呑みこんでしまう。この種が腹の中で、芽を出し、頭を突き抜けて、大木とな
り、春になると、見事な桜の花が咲く。
この桜が町で評判になり、人々が花見に繰り出して、朝からどんちゃんさわぎ。・・・男はこれがうるさくて、頭をひとつ振ると、みな、地震だとばかりに逃
げて行く。
男は、こんな木があるからいけないんだと、これを、えいやっと引き抜いた。すると、根が抜けて、頭の真ん中に大きな窪みができた。
男が、外へ出かけると、夕立に会い、この窪みに水がたまった。ところがこの男はケチだから、この水を捨てない。そのうちに、その池に魚が棲みつき、これ
を釣ろうと子供がやって来る。子供が帰ると、今度は大人が夜釣りにやって来る。
男はこんなに、うるさくちゃかなわないと、頭の池に自分で身を投げて死ぬ。
(身投げの方法としては、足から裏返っていって、池の中に身投げするという話もある)
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ケチな男は、友引町。
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桜が切られる。
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地震が起き、桜の抜けた跡は水溜りになる。
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桜の種は、鬼姫。
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これが大枠ではないかと思います。そして、この話を軸に、色々な解釈ができるのではないかと思います。
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映画のオープニングで、ショートして電気が流れ
るシーンは、友引町の脳のシナプスが、繋がった
瞬間なのかもしれません。 |
ところで、この頭山のもとネタは、吉田兼好の徒然草です。
徒然草 第四十五段
藤原公世の兄の良覚僧正という人は、とても怒りっぽい人だった。
この僧正の住む寺のそばに、大きな榎の木があったので、人々は、「榎木僧正」と言った。
この名が気に入らないというので、僧正はこの木を伐らせた。
その根が残ったので、「きりくひの僧正」と言われた。
いよいよ腹が立って、きりくひを堀り捨てたところ、その跡に大きな堀が出来た。
それで人々は、「堀池僧正」と言った。
外国にも似た話はあり、「ほら吹き男爵」にも、「鉄砲に果物の種をつめて鹿を撃ち、鹿の頭から木が生える。」というような話があります。
2005/04/02
「太郎桜」と「鬼姫伝説」と「おとめ桜」
ラム・ザ・フォーエバーには、先の、「頭山」と並んで、重要な鍵となる話に、「太郎桜と鬼姫伝説」があります。
太郎桜
1986年、湖にキャンプに来ていた若者たちは、謎の殺人鬼集団に襲われた。
ただ一人生き延びた若者は、三日三晩山中をさまよい、とある隠れ里へとたどり着いたのであった。
村人全員が狸として暮らすという、奇妙な風習をもつその村で、ドラマは何の前触れもなく、民話的世界へ移行して行くのであった。
その夜、若者は村の長者どんの屋敷に泊めてもらった。そして、夜も更けた頃のことじゃ・・・・・
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木1
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「太郎桜どん、太郎桜どん。久しぶりじゃった。容態はどんな按配だっしぇ? 」
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太郎桜
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「え〜それは、もう、ごつうしんどい。じゃが、まだまだ頑張らんと」 |
木1
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「うんだとも。今、おめえさまに倒れられたら、村人たちに憑いている悪霊が、なんばしでかすかしらん」 |
木2
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「だが、おかげで、長者どんは、長の病にふせっておる」 |
木1
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「ああ、難しか。ところで、花上げ山の姥杉どんは、なにしとる。えらく遅せえだっちゃ」 |
木2
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「うだな。友だち甲斐のねえやつだが。来やったら、とっちめてやらにゃ」 |
姥杉
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「いやいや、すまねえ、おぐれちまって、太郎桜どん。元気がい」 |
木1
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「なにやっとっただ、姥杉どん」 |
木2
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「今頃来るとは、ひでえ話だ」 |
太郎桜
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「まあ、いいって、いいって。昔っから、姥杉どんにゃ、血も涙もねえんじゃから」 |
姥桜
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「せっがく見舞ってやったに、なんだれこっと。おめえの体、塩つけた斧でぶったたきゃ、生き返れんと、言
いふらしちゃるど」 |
若者はこの会話を聞いている。
場面変わる。
翌日
若者
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「まかせなさい。そのかわり見事この桜を伐り倒すことができれば、それ相応の謝礼を」 |
村人1
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「もちろんですとも、あなたさまがお望みなら」 |
村人2
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「お望みになるだけのものを」 |
若者
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「よろしい、では」 |
若者が、木に斧を入れると、桜は緑色の液体を噴き出し、泡を吹いて、倒れる。
この、若者が太郎桜を伐り倒すまでの話は、日本の昔話の「聴耳頭巾」の類話です。典型的な話は次のようなものです。
日本の昔話 聴耳頭巾
ある男が、罠にかかった狐を助けてやると、お礼に、鳥の言葉のわかる頭巾をもらう。
男がその頭巾をつけると、小鳥たちがこんな話をしていた。
「長者が病気なのは、倉を建てたとき、棟木に蛇がかかって、死にかかっているからだ。あれをとれば、治るのに、人間はそれに気づかない」
若者は、長者の家に行き、蛇をとって長者の病気を治して、褒美に長者の娘を嫁にする。
聴耳頭巾のモチーフは、ラムとランが、小鳥と話が出来るということにも関係しているようです。
この類話に、ラム・ザ・フォーエバーにかなり近い話があります。
秋田の昔話
不精な若者が柿が食べたいが登るのが面倒なので、木の下で、実が落ちるかもしれないと寝ていた。
すると鳥が飛んできて世間話を始めた。
「長者は大病だ、それは庭のミズキが血を吸っているためだ、あれを伐り倒せば病気は治るのに、人間はそれを知らない」
若者はそれを聞いて長者のところへ行き、八卦を見るふりをしてミズキを伐らせた。
しかし、木に斧を入れても、伐る手を止めると、切り口は元に戻ってしまう。
若者が寝ていると夜半に桂や姥杉が見舞いにやって来る。そして、楢の木が来るのが遅いので、姥杉がなじると、楢の木が、
「見舞いに来てそんなことを言われるのは割りに合わん。おまえの体に塩水をかけると切り口はもとに戻るまい。」と言って帰った。
若者はそれを聞いて、塩水をかけて伐らせると、長者の病気は治り、若者はお礼に千両箱をもらって金持ちになった。
一般に、聴耳頭巾の話は、グリム童話の「白へび」の類話とされていますが、この秋田の昔話は特異な話で、この分類には当てはまらないように思います。グリ
ム童話ならば、「旅あるきの二人の職人」の話が近いと思います。
ところで、面堂は、太郎桜を伐る理由として次のように言っています。
面堂 「今年で樹齢三百歳を数えるこの太郎桜は、面堂家にとっては、いわば守り神とも言うべき、名木中の名木なんです。けれど、その内側では老朽化が進
み、とてもこの年の冬は越せそうにもないとのこと、ですから今宵は、この太郎桜にとって、最後の宴となるでしょう。」
しのぶ 「それで映画では、本当にこの桜を伐ってしまうの?」
面堂 「ええ、一度伐り倒してから後、接木をして、二代目の太郎桜として生まれ変わってもらおうと・・・・」
これに近いモチーフの話もあります。
新潟・岩手の昔話
・・・・・前省略
若者は鳥たちが話すのを耳にする。「長者の家で、茶室を建てるときに、楠を伐り倒したが、その切り株が、茶室の軒
下で、雨垂れに打たれて腐ってしまった。しかし、新芽を出すと刈られるので枯れることもできない。このことを気の毒に思う山の木の怨念のために、長者の娘
は病気になったのに、人間たちは知らない。」
更に、太郎桜の跡に、水が溜まるシーンがあります。「頭山」では、雨が降って水が溜まるのですが、映画では、突然水が湧き出します。
これも、次のようなモチーフがあります。
鹿児島の昔話
・・・・・前略
若者は、鳥たちが話ているのを耳にする。「村の上に平石がある、それを一つとれば、ため池が出来る。ため池ができれば、米がたくさんとれるようにな
る・・・・」
おそらく、ラム・ザ・フォーエバーの脚本家は、この他にもある、無数の話を組み合わせて、太郎桜を作ったのだと思います。
鬼姫伝説
チェリーのナレーション。
封印は解かれた。見事に長者どんの病は癒え。全ては安寧のうちに収まるかに見えた。
じゃが、村人たちにとり憑いていた悪霊たちは、勇躍その姿を現した。 正に、悪夢じゃった。村人たちは一同に会し、一心に祈った。
村人たちの祈りが奇跡を呼んだ。鬼姫の降臨である。鬼姫の聖なる光が、村を覆うと、悪霊たちは
地中深くその姿を隠し、二度と再び現れることはなかった。
その夜は村をあげての大騒ぎじゃった。村人たちは鬼姫の力を讃え、聖なる儀式をとり行のうた。
これが鬼姫伝説ですが、しかし、実際には、鬼姫は、地中深くから発見されます。つまりこの伝説の裏には、悲しい真実があるということになります。
おそらく、面堂のお爺さんから聞いたという話が、その悲しい真実だったのだと思います。
(映画ではどういうわけか、この部分がありません。)
悲しい真実とは、ごく一般的に考えるのならば、悪霊を鎮めるために、娘を生き埋めにした。ということでしょう。そして、そこに太郎桜という桜を植えたとい
うことなのでしょう。
これに類似した、有名な伝説が実際にあります。
福島県白河市 小峰城 「おとめ桜」の伝説
昔、小峰城の本丸の石垣がたびたび崩れた。そこで、普請奉行は、人柱を立てることに決めた。
人柱は、そこへやって来た最初の者とし、身分の上下や老若男女の別なく選ぶこととなった。
しかし、そこにやって来たのは、かの奉行の娘だった。娘は父親を迎えに来たのだった。
父親は、娘が来たことに驚き、手を振って、「来るな、来るな!」と追い返そうとしたが、娘には、それが手招いているように見えた。
娘は父親が呼んでいると思い、急いで城へと向かった。
こうして、娘は人柱にされた。この娘を哀れんで、その上に桜が植えられた。
いつしか人々は、これを、おとめ桜と呼ぶようになった。
この話が史実かどうかは、置くとして、この話の類型は、グリム童話の「手無し娘」など数多くあり、旧約聖書にすでに出ています。
旧約聖書 士師記 11 エフタ
エフタは主に誓いを立てて言った。
「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る
者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす奉げ物といたします。」
こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。彼はアロエルからミニトに至るまでの二十の町とアベル・ケラミ
ムに至るまでのアンモン人を徹底的に撃ったので、アンモン人はイスラエルの人々に屈服した。
エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出てきた。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。
彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。
「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない。」
彼女は言った。
「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対し
て復讐させてくださったのですから。」
先の話で、あたるが、太郎桜に斧を入れると、木は泡を吹き、緑色の液体が噴き出しますが・・・・
変身物語の「エリュシクトン」という話では、傲慢なエリュシクトンという男が、女神ケレスの神聖な樫の木を無理矢理伐り倒してしまいます。
この樫の木に斧が入れられるとき、樫の木は、血を流します。
その後、エリュシクトンは、女神の怒りにより、「いくら食べても満腹にならない」という罰を受け、最後は自分自身を食べて死んでしまいます。
ラム・ザ・フォーエバーは、この他、色々な話が、組み合わされているのだと思います。
ここから先は、人それぞれの解釈に任せられるものなのだと思います。(2005/4/9)
番外
・トンボの複眼からみたラムについては、「蝿男の恐怖 複眼の表現」 で取り上げました。
・あたるの、「秘儀三角跳び」は、「空手バカ一代」から。
・写真からラムが消えているというのは、その前年に封切られた、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」から。
プロゴルファー猿
誰がいますか?
2007/09/15日追加
掲示板で、「宇宙家族カールビンソン」 について、
れもん さんに教えて戴きました。ありがとうごさいました。
宇宙家族カールビンソン ターくん
宇宙家族カールビンソン おとうさん
ダーティーペア ケイ
2005/04/02
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