「うる星やつら」の博物 誌原作 コミックス 01.08 ワイド版01.10 いい日旅立ち
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三 悪 道 |
地獄道 | 人間界の地下二万由旬(ゆじゅん)に、無間地獄がある。(ここが、最下層
の地獄) 1由旬は、7マイルという説や9マイルという説など諸説あるが、9マイルとして換算すると、おおよそ288,000Kmである。 無間地獄の上には、等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱 の七つの灼熱地獄がある。 そして、これらの地獄のそれぞれの四面には四つづつ門がありその門外に小地獄がある。 つまり、それぞれの地獄には、4×4=16個 の小地獄があり、全部で、16×8+8=136個の地獄がある。 参照サイト: 国宝「地獄草紙1」「地獄草紙2」 |
餓鬼道 | 咽喉は針のように細く、腹はポコリと膨れている。飲食することが出来ず、
常に飢えと渇
きに苦しむ。 俗に小供のことを餓鬼と称する。参照サイト: 国宝「餓鬼草紙1」「餓鬼草紙2」 |
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畜生道 | 性質は無知にして、貪欲・淫欲であり、父母兄弟の差別なく殺し合う。家禽 や家畜や虫魚 のこと。 |
以上からすると、あたるは、地獄に堕ちて餓鬼になったのではなく、餓鬼道に堕ちて餓鬼に
なったという
ことになります。しかし、この手の間違いはよく
あることで、今昔物語でさえ、「地獄に堕ちて餓鬼になった」というような表現があるくらいです。
施餓鬼会は『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつくばつえんくがきだらにきょう)』という経典からきていると言われています。話は次のようなものです。
お釈迦さまの弟子に、阿難(あなん)という人がいた。ある日、阿難が座禅をしていると、
餓鬼が現れて
こう言った。
「おまえの命はあと三日だ。しかも俺と同じように、餓鬼道に落ちるのだ。」
これを聞いた阿難は驚いて、その餓鬼に、「その定めから逃れる方法はないか」と尋ねた。すると餓鬼は、
「おまえが、無数の餓鬼や、大勢のバラモンに飲食を施し、また俺のために祈ってくれたならば、天上界に生まれることができる」と答えた。
阿難(あなん)はこのことをお釈迦さまに話した。すると、お釈迦さまは、阿難にこう言った。
「お碗一つを供えて、無量・自在・光明・加持・飲食・陀羅尼・と唱えれば、一つのお碗の食べ物が、無量の食べ物になり、すべての餓鬼を救うことができ、し
かもバラモンをも満足させることができるだろう」と教えた。
阿難はお釈迦さまの教えに従い、餓鬼を救い、バラモンをも満足させ、自分の天寿もまっとうすることができた。
これに似た話は、今昔物語にもあります。
天竺の舎衛国(しゃえいこく)に貧しい翁がいた。歳は八十で、物乞いをして世を渡って
いた。妻を
持っていたが、その妻は髪が長く、全ての人がこれ
を見てひどく羨ましがり、「この女の髪を、美人に付けたら、どんなに素晴らしいだろう」というものだから、この妻はこの髪のためにかえって情けない思いを
した。
ある夜、この夫婦が寝物語に、「私たちは、きっと前世で善業を行わなかったので、貧乏人に生まれたのだろう。現世でまた善業を行わなかったら、後世もま
たこのような身に生まれるだろう。だから少しでもいいから、善根を積みたいものだ」と嘆き合った。
すると妻が、「この髪を売り、善根を行い、後世の糧としよう」という。夫は、「お前のこの世における宝はこの髪だけだ。それをどうして切ろうというの
だ」といって止めたが、妻は、「この身は無常です。この世はこのままで終わっても構いません。ただ、後世のことを思うと、なんとも恐ろしいのです」といっ
て、髪を切ってしまった。
妻はその髪を米一斗と交換し、飯を炊き、二、三種のおかずを調えて、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に持って行き、上座のお坊さんのいる部屋へ行って、供
養したいと申し出た。
上座のお坊さんは、女からわけを聞くと、「この寺では、このようなお供えものを配る場合、一部屋だけで独占してしまうことはない。鐘を撞いて多くの僧たち
の鉢を集めるから、それらに一合ずつ配りなさい。わしはなにも知らぬからな」といい、鐘を撞いて三千人の鉢を集めた。
翁夫婦は驚き騒ぎ、「我等は、この供養のために、僧たちに捕縛されて責められることになる。どういうつもりです」と言うと、上座は、「そんなことは知らな
い」と言う。
翁は妻に、「一人の鉢に、飯をみな投げ入れて逃げ去ろう」と言って、一番目の鉢に飯を全部投げ入れてみると、桶には飯が同じ様にある。飯を鉢に入れなかっ
たのかと思って、鉢を見れば、僧は飯を受けて去って行った。桶にも飯がある。不思議だと思いながらも、他の鉢に飯を入れる。また、桶には飯がある。このよ
うに配ってゆくうちに、三千人全員に配ってしまった。
夫婦は、喜んで帰って行こうとするとき、たまたま暴風に追われて、祇園精舎の近くに来ていた他国の商人の一団が、食糧が尽き飢餓に苦しみながらこの場に
やって来て、「今日は祇園精舎で僧侶を供養する儀式があると聞きました。われわれは飢え疲れています。どうか助けください」といって飯を乞い求めた。飯は
まだあったので、それを商人たちに与えた。
商人たちは飯を恵んでもらい、「飯を配ってくれた夫婦を見ると、身分卑しい貧乏人のようだ。われわれはこのお供えものを食べ、命を全うした。その恩に報
いなければ罪が深いであろう」といって、各自が持っている金を三等分し、その一分をこの翁に与えた。
合計した金はどれほどになったことであろう。翁はその金を得て帰り、長者となった。その名を髪起長者(ほっき長者)といった。
昔あるところに、貧しくとも信仰心の篤い少女が母親と二人っきりで住んでいました。二人
は貧乏なので
長いこと何も食べていませんでした。そこで娘
は、森へと行きました。すると一人の老婆が現れました。老婆は少女が困っていることに気づき、小さな鍋を娘にプレゼントしました。
その鍋は魔法の鍋で、「小さな鍋さん、料理を作って。」と言うと、とてもおいしいお粥を作り、「小さな鍋さん、料理をやめて。」というと、料理をやめると
いう代物でした。
娘は母親の待つ家に鍋を持ち帰りました。こうして、二人は貧しさから解放され、好きな時においしいお粥を食べられるようになりました。
ある時、娘が出かけている時に、母親が、「小さなお鍋さん、料理を作って。」と言いました。鍋はおいしいお粥を作り、母親は満腹になるまで食べました。そ
してもうたくさんと思ったのですが、母親は鍋に料理をやめさせる言葉を知りませんでした。
鍋はどんどんお粥を作ります。そとて鍋からあふれ出しました。それでもまだまだ鍋はお粥を作ります。台所がお粥でいっぱいになり、家もお粥でいっぱいにな
りました。そして隣の家も、通りも・・・・それはまるで全世界の飢えを満たそうとしているようでした。
それからずいぶんと時間がたちました。しかし誰一人として、それをとめる方法を知りませんでした。とうとう、最後の一軒にまでお粥が押し寄せた時、娘が家
に帰って来て、「小さなお鍋さん、料理をやめて。」と言いました。こうして鍋はお粥を作るのをやめました。
しかし、町に戻ってこようとする人たちは、みな、お粥を食べながら帰ってこなければなりませんでした。
この話の類話には、「臼で塩を出したが、とめ方が分からずに、それ以来、海は塩辛くなっ
た。」という
ような話が有名です。
また、聖書にも似た話があります。
13.
イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
14.
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。
15.夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれ
ば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」
16.イエスは言われた。「行
かせることは
ない。あなたがたが彼らに食べる物
を与えなさい。」
17.
弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
18.イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、
19.群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しに
なった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
20.すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
21. 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
マルコ6.30-44、ルカ9.10-17、ヨハネ9.1-14
原作 錯乱坊が、曼陀羅図に向かい、あたるの霊を映し出そうとするところ。
曼荼羅が、「すご六」になっているようだ。
テレビアニメ
この曼荼羅は、胎蔵界曼荼羅の「中台八葉院」の図です。
中台葉院とは、胎蔵界曼荼羅の中心部にある院のことです。下に図解してみました。
胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)
東 外金剛部院 |
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外 北 金 剛 部 院 |
文殊院 | 外 金 南 剛 部 院 |
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地 蔵 院 |
釈迦院 | 除 蓋 障 院 |
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蓮 華 部 院 |
偏知院 | 金 剛 手 院 |
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弥勒 | 宝 幢 | 普賢 | ||||||
天鼓雷音 | 大 日 | 開敷華王 | ||||||
観自 在 | 無量寿 | 文殊 | ||||||
持明院 | ||||||||
虚空蔵院 | ||||||||
蘇悉地院 | ||||||||
外金剛部院 西 |
この図の水色の部分が、「中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)」です。
弥勒菩薩 | 宝幢如来 | 普賢菩薩 |
天鼓雷音如来 | 大日如来 |
開敷華王如来 |
観自在菩薩 | 無量寿如来 | 文殊菩薩 |
テレビアニメの方は、中台八葉院が、かなりリアルに描かれていますが、その他の院につい
ては描かれて
いません。一方、原作の方は、他の院がずいぶん
と丁寧に描かれています。
テレビアニメでは、錯乱坊は、曼荼羅に向かって「なんまいだぶ・なんまいだぶ」と念仏を 唱えていたの ですが、原作では下のような、文句を唱えていま す。
実はこの文句は、陶淵明(とうえんめい) 365〜427 という中国の詩人の「乞食」
という漢詩の
一節です。
乞 食 | (読 み下し) 食を乞う | |
飢 来 駆 我 去 | 飢え来たりて我を駆って去 らしむるも | |
不 知 竟 何 之 | 竟(つい)に何(いず)く に之(ゆ)く かを知らず | |
行 行 至 斯 里 | 行き行きて斯(こ)の里に 至り | |
叩 門 拙 言 辞 | 門を叩きて言辞拙(せつ) なり | |
主 人 解 余 意 | 主人 余が意を解し |
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遺 贈 豈 虚 来 | 遺贈(いぞう)あり 豈
(あ)に虚しく
来たらんや |
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談 諧 終 日 夕 | 談諧(かな)いて日の夕べ を終え | |
觴 至 輒 傾 杯 | 觴(さかずき)至れば輒 (すなわち)杯 を傾く | |
情 欣 新 知 歓 | 情(こころ)に新知の歓 (かん)を欣 (よろこ)び | |
言 詠 遂 賦 詩 | 言詠(げんえい)して遂に 詩を賦(ぶ) す | |
感 子 漂 母 恵 | 子(し)が漂母(ひょう ぼ)の恵みに感 ぜしも | |
愧 我 非 韓 才 | 我の韓才(かんさい)に非 ざるを愧 (は)ず | |
銜知 何 謝 | 銜(かんしゅう) して何(いか)に謝すべきを知らんや | |
冥 報 以 相 貽 |
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訳 「乞 食」
ひもじくて、じっとしていられない。
どこへ行くあてもないけれど、
歩きに歩いてこの里にやってきた。
門を叩いてみたけれど、うまく話ができない。
主人が、わしの気持ちを汲んでくれて、
施しものをくれたではないか。うまくいった。
話が合って、日が暮れた。
酒を出されれば、遠慮はしない。
心うれしや、新しい友よ。
声に出して歌えば、ついに詩になる。
漂母(ひょうぼ)の恩を、君に感じるけれど、
わしには、韓信(かんしん)のような才がない。
黙って、君の好意を受けるだけだ。
あの世へ行ったら、恩返しをしますよ。
注: 漂母(ひょうぼ)とは洗濯女で、韓信という人に飯を恵んでやった。韓信は出世して から、漂母に 大金を与えて、恩に報いた。
「念仏代わりに・・・・○○○」というような言い回しは、よく耳にしますが、まさか僧侶
が、お経の代
わりに、漢詩を詠ずるとは・・・・しかもその漢
詩が、「腹が減って歩いているうちに、うまい具合に食事にありつけた」というような漢詩なのですから、うますぎます。
長くなりましたので、節分については次の機会に。
2003/09/21日
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