2007年01月30日
三すくみ
らんま1/2 17.06 真実の告白 高橋留美子 小学館
らんま1/2 17.06 真実の告白 高橋留美子 小学館

うる星やつら ワイド版 12.13 お祓三すくみ 高橋留美子 小学館
うる星やつら ワイド版 12.13 お祓三すくみ 高橋留美子 小学館

「三すくみ(三竦み)」とは、ナメクジとヘビとカエルが互いに牽制し合って、身動きが取れなくなる状態のことを言います。これは、中国の周の時代に、関尹 子(かんいんし)という人が書いた、次の言葉によるものと言われています。

蛆食蛇。蛇食蛙。蛙食蛆。互相食也。・・・
ムカデは蛇を食べ。蛇は蛙を食べる。蛙はムカデを食べる。互いに食い合うのだ。・・・

関尹子では、ナメクジではなく、ムカデになっているので、これは、日本で翻訳する際に間違えたのではないか? と言われていますが、しかし日本の三すくみが、関尹子だけに由来するとは限らないと思います。

江戸の頃までは、ジャンケンの一種に「虫拳」というのがあったのですが、これは、親指が「蛙」。人差し指が「蛇」。小指が「ナメクジ」という具合です。
この虫拳がどのようにして派生したかは、詳しくは分からないのですが、関尹子の誤訳から生じたとばかりは言い切れないと思います。

例えば、文化13年(1816年)に、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)は、虫拳を題材にその名も「三蟲拇戦(むしけん)」という小説を書いているのです が、その序で次のように言っています。

 童の戯れなる虫拳というものは、いかなる事より起りけん。涅槃経(ねはんきょう)獅子吼品(シシくほん)に、蛇と鼠と狼と、相いともに怒心(どしん)を 生ずることを説かれたり。・・・・・・また、五雑俎(ござっそ)に、蛇・ムカデ・イモリ・蜘蛛のあらそう事は見えたれど、これは人の取りて、一器のうちに おさむるにて、自ら戦うにあらず。かつ、今の虫拳というものの如く、蛙(あ)蛇(だ)蜒蚰(えんゆ)の三虫闘争なす事、古き書には見えず。

注:
蜒蚰(えんゆ):ナメクジのこと。
五雑俎(ござっそ):中国の明代の百科事典風随筆集


という具合に、関尹子(かんいんし)については、全く認識されていません。

ところで、Wikipediaなどには、虫拳について、「平安時代の文献にも出て来くる」とあるのですが、文献元は明記 されていませんでした。平安時代のどのような文献に出てくるのか? 御存知の方情報お待ちしております。
(一般には、ジャンケンは、近世になってから中国から伝えられたと言われています)

しかし、関尹子(かんいんし)のように、ムカデとヘビが対決する話は日本にもあります。有名な話としては、栃木県の日光の戦場ヶ原にまつわる言い伝えがあ ります。

 昔、赤城山の神と日光二荒山(ふたらさん)の神とが戦争をした。赤城山の神は、大きなムカデに姿を変え、二荒山の神は大蛇に姿を変えて戦った。その後、 二荒山(ふたらさん)の神に、足尾の細尾峠が加勢したので、赤城の神は赤城山のふもとまで追い返された。
 赤城のふもとには、里芋畑が広がっていたのだが、二荒山の大蛇の神は、里芋のイモガラが大好物で、それを食べて更に勢いを増したのだが、赤城のムカデの 神は、里芋のヌメリが苦手だったので、一層の苦戦を強いられた。しかしそこへ、上野小川(こうずけおがわ)が、赤城に加勢に来たので、赤城はその勢力を盛 り返し、敵を二荒山麓まで押し返した。
 二荒のふもとには、田んぼが広がっており、赤城のムカデの神はこの藁が大好物だったために、更に勢いを増した。しかし二荒の大蛇の神は、藁が苦手だった ので、より一層の劣勢に陥った。
 二荒山の神はなんとか挽回しようと、鹿島の神さまに相談すると、小野猿麻呂という弓の名人に加勢させるのがよいと教えられた。そこで二荒山の神は、猿麻 呂を味方にした。
 赤城山と二荒山の決戦の日、猿麻呂は強弓を用意して、赤城山のムカデの大将の目を射抜いた。こうして、二荒山は勝ちを収め、この戦場となった地は戦場ヶ 原と呼ばれることとなった。

この話の面白いところは、大蛇とムカデの二極対立に、第三者が加勢することで、優勢になったり劣勢になったりを繰り返すことです。また、その第三者は、仲 間の援軍であるだけでなく、山芋や藁など、意識を持たないものであったりします。そして、「里芋のヌメリ」というのは、なんとなく、ナメクジに通じるもの があるようにも思えます。(この話では、ヌメリが嫌いなのはムカデであって、ヘビではないのですが)。

蛙・蛇・ナメクジの三すくみも、もともと、蛙と蛇の二極対立があり、そこに第三者としてナメクジが現れたというような見方もできるかもしれません。

NARUTO−ナルト アニメ 96 三すくみの戦い 岸本斉史 テレビ東京
NARUTO−ナルト アニメ 96 三すくみの戦い 岸本斉史 テレビ東京

児雷也豪傑譚 第11編 作:美圖垣笑顔 絵:一陽斎豊国 天保10年 1839年
児雷也豪傑譚 第11編 作:美圖垣笑顔 絵:一陽斎豊国 天保10年 1839年

絵本児雷也物語 永田正兵衛 秀成堂 明治23年 1890年
絵本児雷也物語 永田正兵衛 秀成堂 明治23年 1890年

歌舞伎 児雷也 市川団十郎 
児雷也

歌舞伎 綱手 助高屋高助

綱手

歌舞伎 大蛇丸 市川左団次
大蛇丸

三すくみで最も有名な話は、「児雷也(自来也)」だと思います。しかし、児雷也物語の三すくみも、実際は、児雷也 VS 大蛇丸 の二極対決に、綱手が児雷也に加勢するというタイプの話になっています。三すくみというのは、思想としては面白いのですが、物語とした場合は、動 かなくなって、それでおしまいですので・・・結局は、二極対決+加勢というタイプになるのだと思います。

ところで、自来也(じらいや)という名前なのですが、これは、中国の「怪盗我来也(がらいや)」という話からとられたものです。しかし、話の内容そのもの はほとんど関連性がありません。

我来也は、こいきな泥棒物語で、ルパン三世でもリメイクした、イタリア映画の「新・黄金の七人」のような、「牢獄のアリバイトリック」の話などがありま す。

児雷也物語の中での児雷也の名前の由来なのですが、児雷也は子供のころ太郎という名前だったのですが、ある時、庭に落ちた雷獣(らいじゅう)を捕まえたこ とから、雷太郎と呼ばれるようになり、そこから、児雷也となったようです。

雷獣(らいじゅう)とは、落雷とともに、地上に落ちてきて、木々を切り裂いたりすると思われた、想像上の怪物で、身体は犬のようで、口はクチバシであると されています。

NARUTO−ナルト アニメ 66
だてに遅れたわけじゃない!究極奥義・千鳥誕生!! 岸本斉史 テレビ東京

NARUTO−ナルト アニメ 66

「うちはサスケ」に伝授した、「はたけカカシ」の必殺技「千鳥」は、その技で雷を切ったことから、雷切(らいきり)と呼ばれていますが、これは、雷獣を捕 まえた児雷也にちなんでいるのでしょうね。

ここでもう少しだけ、三すくみについて考えてみたいと思います。先には、2極対決+1 の戦いを見たのですが、これとは逆の発想が、二者を対決させて、両者が弱ったところを攻めてしまおうとする、漁夫の利で す。

シギがハマグリを食べようとしたところ、クチバシをはさまれてしまう。両者が争って動けなくなったところを、漁夫が簡単に手に入 れた。


という話です。これらを応用したのが、諸葛孔明の天下三分の計かもしれません。

三すくみを考える上で、これらの 2極対決+1 という考え方とは別に、無限連鎖という考え方もあるのではないかと思います。例えば次のような話がありま す。

何度も何度も食う話

 猟師が、山で獲物を探していると、一頭の猪を見つけた。しかしよく見るとそこではこんな光景が繰り広げられていた。
 大きなガマガエルが、大ミミズを食い、その大ガマを、大蛇が食い、その大蛇を猪が食おうとしていたのだ。
 猟師は今自分がこの猪を撃てば、次は自分が何者かに殺される番だと思い、撃つのをやめた。すると、「それはよい心がけだ」と、どこからか声がした。山の 神さまが一部始終見ていたのだ。


これは、中国の荘子の影響を受けた話だと思いますが、無限連鎖になっています。そしてこれを、更に一歩進めると、「鼠の嫁入り」のような、鼠→太陽→雲→ 風→壁 と強い者を探して行き、結局一番強いのは、鼠であった。というような、循環構造の話になります。

「鼠の嫁入り(鼠の婿取り)」の話は、鎌倉時代に、無住道暁(むじゅうどうぎょう)という人によって書かれた、沙石集に収められている話なのですが、この 話はインドから中国を経て日本に伝わったものです。

現在、沙石集は、小学館の日本古典文学全集52 が、一番ポピュラーだと思うのですが、残念ながら、鼠の婿取りの話は、この本には入っていません。話は次のようなものです。

沙石集 9.14 貧窮追出事

鼠の娘もうけて、「天下に並びなき婿をとらん」とおおけなく思い企てて、「日天子こそ世を照らし給う徳めでたけれ」と思いて、朝日の出給うに、娘を持ちて 候。「みめかたちなだらかに候。参らせん」と申すに、「我は世間を照らす徳あれども、雲にあいみれば、光もなくなるなり。雲を婿に取れ」と仰せられけれ ば、誠にと思いて、黒き雲の見ゆるに会いて、このよし申すに、「我は日の光をかくす徳あれども、風に吹きたてられぬれば、何にてもなし。風を婿にせよ」と 云う。さも思いて、山風の吹きけるに向かいて、このよし申すに、「我は雲をも吹き、木草をも吹きなびかす徳あれども、築地(つきじ)に会いぬれば力なきな り。築地を婿にせよ」と云う。げにと思いて、築地にこのよしを言うに、「我風にて動かぬ徳あれども、鼠に掘らるる時、耐えがたきなり」と言いければ、「さ ては、鼠に何にもすぐれたる」とて、鼠を婿に取りけり。


この循環構造の、一番単純な形が、ナメクジ・蛙・蛇の三すくみと見るこができるのではないかと思います。

HOME    FRAME

inserted by FC2 system