トマス・ブルフィンチ
(1796-1867) というアメリカの文学者は、日本でも大変有名だと思います。たとえば、彼の The Age of Fable
という作品は、角川文庫・岩波文庫・講談社学術文庫からそれぞれ違った訳で出版されています。
ところで、この The Age of Fable
というタイトルなのですが、本来これは、「伝説の時代」あるいは、「神話の時代」とでも訳すべきなのですが、角川と岩波は、「ギリシア・ローマ神話」とい
うタイトルで、講談社は、「ギリシア神話と英雄伝説」というタイトルになっています。
まあ、この本の大部分は、ギリシア神話について書かれているので、分かりやすいように、このようなタイトルをつけているのですが、しかし、この本の後ろ
の方には、東洋の宗教についても触れられており、そしてその中に、チベット仏教も出てくるのです。短いので全文見てみることにします。
THE GRAND LAMA (グランド・ラマ)
人間の魂は神の霊から生まれたものなのに、その肉体に囚われているというのは悲惨な状態であり、それは前世で犯した罪や過ちの報いによるものなのである。
というのが、ヒンドゥー教や仏教に共通する教えである。
しかし彼らの信じるところによれば、ごく稀にではあるが、輪廻に係わりなく、人間を救うために自ら進んで地上に降りてくる者があるという。そしてこの聖者
たちは次第に、ブッタの再来と思われるような性格を帯びるようになる。今日でもチベットや中国などの仏教世界のラマは、そのような人と目されている。(つ
まり活仏のこと)
ジンギスカンとその末裔の勝利により、チベットのラマが法王の位に就くことになった。(つまりジンギスカンの末裔たちはチベットのラマを信奉してい
た)。
彼は自身の領地として特別な土地が与えられたので、精神的な権威だけでなく、限られた範囲ではあったが、現世的な君主として君臨した。彼はダライ・ラマと
呼ばれた。(大いなるラマ)
チベットの地に最初にやって来たキリスト教の宣教師たちは、アジアの真ん中に、ローマカトリック教会に似た、法王の宮廷や、寺院などがあるのを見て驚い
た。そして僧侶や尼僧のための修道院、華麗できらびやかな礼拝の行列や儀式を見るにつけ、多くの者は、その類似性からラマ教はキリスト教が変化したものだ
と考えるようになった。実際、ラマたちは、キリスト教徒からそれらの儀式を、取り入れたということは、有り得ないことではない。というのも、チベットに仏
教が伝えられたときには、ネストリウス派のキリスト教徒は、タタールの地に住んでいたからである。
後半の、
多くの者は、その類似性からラマ教はキリスト教が変化したものだと考えるようになった。・・・・
というような箇所は、西洋人の奢りを如実にあらわしていますが、もちろんラマ教
(チベット仏教)は、キリスト教とは関係ありません。しかし、ここで留意すべきは、当時チベットには、ローマ・カトリック教会に匹敵するチベット仏教文化
があったということです。
チベット仏教は、密教系なのですが、現在世界で、密教の教えを説いているのは、チベットと日本だけだそうです。日本の密教といえば、9世紀のはじめに、空
海 (弘法大師)
が唐から持ち帰ったものです。しかし、当の中国ではこの密教は衰退して断絶してしまいます。一方チベットの密教は、11世紀ごろにインドから直接取り入れ
たものです。
ですから、意外なことに日本の密教の方がチベットの密教よりも古いタイプのものなのです。しかもそれは、中国経由なのでインドから直接取り入れたチベット
の密教とはかなり違っているようです。とは言っても、同じ密教の教えを奉じているわけですから、世界で二人だけの血を分けた兄弟のようなものだと思いま
す。弘法大師信仰や伝説は、日本全国隈なく行き渡っているわけですからね。
ちなみに、呪泉郷のある青海省は、チベットの地理区分では、アムド州 に属しています。また、ダライ・ラマ14世が生まれたのも、アムド州のタクツェル
(吠える猛虎) という村だそうです。
チベットの地理区分は、ウツァン、カム、アムドの3州からなっています。
らんま/考